今回のお題は前回の生放送で選択されたお題。
「白面金毛九尾ノ狐」です。
そう、いわゆる九尾の狐。
名の知れた大妖怪ですねー!
妖怪の中でも最大クラスの大物ではないでしょうか。

九尾さんとロデム

/美人さんデスネ!\ 

まずどういう存在かというと、
長い年を経て強い妖力や神通力を持ち九つの尻尾を持った狐の妖怪といったところでしょうか。
様々なゲームや漫画に登場し、いずれもかなり強力な力を持った存在として描かれています。
私が知る限りでは最強最大クラスの大妖怪です。
その存在のはじまりやエピソードなどを紹介していきたいと思います。

紀元前206年の前漢(劉邦により建国)初期の頃から紀元300年頃にかけて
中国で著された地理書『山海経』の『南山経』に最初の記述があるようです。
ざっと書くと「青丘山に狐のような姿で尻尾が9本ある獣がいる。それは赤子のような声で鳴き、人を喰う。」
「しかし、逆にその獣を食べた者は邪気を退ける。」
といったところのようです。
また、同じく『山海経』の『東山経』にも似たような記述があるようです。

そして中国の様々な王朝の史書において、
その存在は瑞獣として見せることもあるようです。
特に漢王朝ではその存在は守り神とされていたようですが、
徳のない酷い統治者の場合、革命を促す存在として凶獣ともされることがあるとか。
瑞獣とは、古代中国において瑞兆として姿を現すとされる何らかの特異な特徴を持つ動物のことで、
日本でも比較的なじみが深いのは鳳凰や竜、麒麟あたりでしょうか。
凶獣はその反対で人に災いをもたらす存在といったところです。
現在も色んなお話に聞く大妖怪としての九尾の狐はだいぶ古くから存在していたことになりますね。

では、大妖怪としての伝承はどのようなものがあるのでしょうか。
まずは紀元前11世紀ごろの中国、殷の時代。
これは九尾の狐のエピソードで最も有名かもしれません。
殷最後の王となった帝辛(ていしん 紂王(ちゅうおう)の名前の方が有名でしょうか)は、
妲己(だっき)という美女に溺れ彼女の望むことであればなんでもかなえたと伝えられており、
とんでもない暴君に成り果てたとされています。
結果的に帝辛は数百年続いた殷は周に滅ぼされたとされています。
女性一人が国を滅ぼしたという傾国エピソードですね。
九尾の狐は数百年続いた大国を滅ぼした立役者ということになります。

このお話は「封神演義」という世界最古のSFともいわれる作品のベースになっています。
上記作品を漫画て見て知っているという方も多そうですね。
ちなみに殷墟とされる場所から出土した亀甲獣骨文字に妲己という名前は出てこないようで、
実際にこの国が滅びたのは別の要因があるようです。
帝辛については数々の悪行が書かれた伝記があるもののその信憑性は薄く
殷を滅ぼした周が滅ぼした正当性を主張する為に記したという話もあるようです。
実際の帝辛は長身で美貌を持ち、頭の回転速く、決断力があり行動は素早く、
弁舌には優れて極めて聡明、武勇に優れその力は猛獣を殺すほどとされています。
完璧すぎて怖いですねー。
逆に完璧だったからこそその能力を全てとんでもない方向に使った暴君と伝えられたのかもしれませんね。

さて、お話が逸れましたが殷を滅ぼした九尾の狐は次は別の国で出現することになります。
その次に出現した土地は天竺(インド)の耶竭陀(マガダ)国に華陽夫人(かようふじん)として現れ、
そこの王子、班足太子(はんぞくたいし)を籠絡します。
殷の帝辛同様に虜になった班足太子は言われるままに千人もの大虐殺を行うなどの暴虐の限りを尽くすようになります。
その後、庭で寝ていた狐を班足太子が弓で射たところ、
後日華陽夫人はその傷が元で伏せてしまいます。
華陽夫人を案じた班足太子が耆婆(ぎば)という天竺一とされる名医に見せると、
たちまちその正体を見破り九尾の狐は正体を現し逃げて行ったとされています。
今回も国の重要人物を籠絡しやりたい放題やっていますね。

そして三度目の出現はまたも中国。
周の第十二代の王、幽王の時代。
そうです、殷を滅ぼした周です。
そこでは褒ジ(ほうじ)という出自の不明な絶世の美女がいたとされています。
幽王は彼女を大変気に入り正室を廃したとされています。
しかし彼女はまったく笑わない女性であったため、
その笑顔見たさに幽王はあれこれと行うようになります。
ある時上等な絹を裂いた音を聞いた時、
褒ジが微かに笑ったのを見た幽王は全国よりものすごい大量の絹を取り寄せ
それを裂いたとされていますが、褒ジはまた次第に笑わなくなっていったそうです。
また、ある時に手違いがあり烽火が上がって諸侯が周の王宮に集うという事件がありました。
烽火は本来有事の際に上げるものなのですが、
この手違いで諸侯が集まるのを見た褒ジが笑ったのを見た幽王は、
たびたび何も起きていないのに烽火を上げ諸侯を集め褒ジを笑わせていたとされています。
諸侯は愚かな行為を続ける幽王を見限りはじめます。
何かどこかで聞いた狼少年な話になってきましたね。
ただし、やってるのは街の少年どころか一大国の王ですが。
オチも読めてきたと思いますが、ある時に廃された前皇后の父、申侯ら申一族は
周に対して不満を持っていた周辺諸侯や周と仲の悪かった蛮族らと手を組み周へ反乱を起こします。
もちろん本物の有事が起きたので烽火を上げますがいつものことだろうと諸侯は駆けつけず
あっさりと幽王は捉えられて殺されてしまいます。
こうしてあっさりと西周は終わりを迎えてしまいました。
褒ジも捕らえられますがいつのまにか消えていたとも、狐に化けて逃げたともされています。
殷を滅びる要因を作り出し、その殷を滅ぼした周でまたも滅びる要因を作り出したことになりますね。
さて3国目もバッチリめちゃくちゃにした九尾の狐ですが、
最後に日本に現れることになります。

遣唐使船にいつのまにか幼い美少女が乗っていて、
とりあえず途中で降ろすわけにもいかず仕方なく日本まで連れて行くと
いつの間にかその少女は消えており、この少女が九尾の狐とされています。

その後、平安末期に赤子に化けて子に恵まれない夫婦に拾われ
藻女(みくずめ)と名付けられて大事に育てられます。
大変美しく成長した藻女は18歳で宮中に仕えてその才色兼備ぶりを称えられ
鳥羽上皇に仕える女官となります。
ある時に内裏で詩歌管絃の遊びがあって、
鳥羽上皇はお気に入りの藻女を連れてその遊びに参加したのですが、
その最中に大変な強風が吹き荒びあたりの蝋燭を全て消してしまい真っ暗闇となってしまいました。
そうするとどういうことか藻女の体が光りだして、
真っ暗闇の周囲を照らしたとされています。
その照らされる様が美しく光り輝く玉のようであったそうで、
この時より藻女は玉藻前(たまものまえ)と呼ばれるようになったそうです。
……気づいてよ! 怪しすぎでしょ! どう考えても人じゃないっしょ!

玉藻・ロア参上

/お姉ちゃんのこと呼んだ?\

鳥羽上皇は玉藻前を大変寵愛したのですが徐々に病に伏せるようになり
その原因は医師に見せてもわからないという大変困った事態に。
そこで、陰陽師であった安倍泰成に相談すると玉藻前の正体が
九尾の狐であり鳥羽上皇を殺して乗っ取るつもりだということを見破ります。
しかし、鳥羽上皇にそのことを伝えても玉藻前を溺愛していた為に信じようとしないので
一計を案じて玉藻前の正体を暴くことにします。
鳥羽上皇の病を治す為と称して神聖な祭りを行って玉藻前の変化を暴くことに成功します。
正体を暴かれた九尾の狐は飛び去って行ったそうです。
この出来事から17年後、九尾の狐が見つかり討伐軍が編成されることになります。
3人の将軍に8万の兵力を付け、正体を見破った陰陽師・安倍泰成を従軍させて九尾の狐の元へ派遣しました。
これだけの戦力にも関わらず九尾の狐のあまりの強さに一度は敗走することになりますが、
その後対策を練り徐々に優勢になっていき朝廷軍はついに九尾の狐の討伐に成功しました。
しかし話はここで終わりません。
討伐された直後に、九尾の狐は巨大な石に変化し、
その石からは九尾の狐の怨念なのかとてもつもなく強力な毒が出始めました。
それは近づく人や動物の命を奪うほど強烈な物だったため、後にこの石には『殺生石』と名が付けられました。
この殺生石は鳥羽上皇が死去した後も残り続けており、
この石をなんとかする為に多くの徳の高い高僧が訪れ
鎮めようとするもののその強力な毒でなんともできなかったそうです。
結果としてこの石の猛威が取り除かれたのは南北朝の時代、
会津にある元現寺を開いた玄翁(げんのう)という人物が殺生石を破壊し、
殺生石は3つの欠片に砕けて1つはそのままそこの場所に残り、
残る2つの欠片は別の土地へ飛散したそうです。
 
九尾の狐が化けたと言われる傾国の美女のエピソードは以上になります。
どのエピソードも実際のところは九尾の狐は存在しておらず(妲己は千年狐狸精だが尾が割れていたという話はないなど)、
その傾国の美女さえ実在なのか怪しいというのが現実の歴史なのですが、
中国、インド、日本と仏教国に広く災いをもたらした九尾の狐を
国が傾く原因となった伝説の美女と結び付けるというのはとても面白いと思います。

玉藻前のところにあるように九尾の狐は実際に戦っても相当強いことがわかりますが、
最大の恐ろしさはいかに絶世の美女に化けれるとは言ってもそこから時の権力者を籠絡して
自在に影から操るというその魅力と知性かもしれません。

さて、ここまで駆け足で紹介しましたがそれでもかなりの文量になっていますね。
最後に九尾の狐を含む妖狐について少しだけ解説します。

狐は長く生きるほど強い力を備え尾が増えると言われており、
階級も存在しております。
古代中国に置いては狐が1000年生きると尾が4つで千里先のことを見通す天狐となり、
3000年生きると神に等しくなり空狐と呼ばれるそうです。
天狐の下には気狐、野狐という存在もあるようです。
ちなみに江戸時代の随筆『善庵随筆』においては天狐と空狐が逆で、
上位から天狐、空狐、気狐、野狐の順になっているそうです。

また、余談ですが日本において力を持った狐は油揚げが好物とされていますが、
中国では鶏卵が好物だそうです。
日本でしかきつねうどんは通用しなさそうですね。

さてさて、今回かなりがっつりとした長文になってしまいました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
今回の内容に出てきた殺生石の史跡は今も現実に存在しており、
栃木県那須町の那須湯本温泉付近にあります。
観光地として訪れることもできますが、
今も硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒ガスがたえず噴出している為、
ガス排出量が強い場合は見ることができない場合もあるようです。
ちなみに近くの温泉は大変いい温泉だと人づてに聞いています。
機会があれば一度行ってみたいですねー。
また、殺生石を砕いた玄翁和尚の名前(げんのう)は
大きな金槌、玄能・玄翁(げんのう)の由来となったそうです。

次回はできるだけ早いうちにお届けできればいいなあと思いますが、
とりあえず蓄積しているものを頑張って消化したいと考えています。
それでは、失礼致します。

玉藻ちゃんと九尾さん

/最後は可愛いツーショットでお届けします\